ゴム風船の、美しさかな

いろとりどりのゴム風船が爆ぜる様ーーまことに人生、一瞬の夢

『青い鳥』を読んで

  こんにちは、『√』です。

目次を付けてみようかと思いましたがうまく出来ませんでした。

 

『青い鳥』メーテルリンク著, 堀口大學訳, 新潮文庫を読んだ感想を綴っていきたい。

 

青い鳥はメーテルリンクが書いた戯曲。"青い鳥"は「幸福」の象徴として知っている人は多いことだろう。しかし、実際に読んだことがある人は多くないのではないだろうか。斯く言うわたしも20歳を目前にして初めて読んだ。

 

物語はクリスマスイヴの夜中に、貧しい木こりの子チルチルとミチルの部屋に醜い年寄りの妖女ベリリウンヌが訪れることから始まる。妖女の指示で青い鳥を探しに行くことになった二人は、ダイヤモンドのついた魔法の帽子を貰い、光や犬や猫やパンや砂糖や火や水たちと共に旅へ出る。

 

幸福とはなにか、どこにあるのかについて考えさせてくれる作品。夢幻の童話劇と謳われているが、読んでみると実際これはそれだけでなく臨死体験でもあるのではないかと思った。

 

ここからはゆるくまとめて、気に入った文章を挙げていきたい。

 

 死生観〈思い出の国〉

 

どうして死んでしまっているものかね。お前たちの思い出の中で立派に生きてるじゃないか。人間はなにもものを知らないから、この秘密も知らないんだねえ。(妖女)

 

第二幕の〈思い出の国〉では死んだはずのおじいさん、おばあさん、それに弟妹たちと会う。彼らの姿は基本的には死んだときと変わっていないようだが、健康体(ふくよかで、肌がつやつや)ではある。 そこでは「死ぬ」という言葉はなく、死ぬという概念すら無い。生涯を終えることは眠ることであり、生きている人たちが思い出すことで目を覚ます。 

 

おばあさん:わたしたちはいつでもここにいて、生きてる人たちがちょっとでも会いにきてくれるのを待ってるんだよ。でも、みんなほんのたまにしかきてくれないからね。お前たちが最後にきたのは、あれはいつだったかね? ああ、あれは万聖節のときだったね。あのときはお寺の鐘がなって……。

チルチル:万聖節のとき? ぼくたちあの日は出かけなかったよ。だって、ひどい風邪で寝てたんだもの。

おばあさん:でも、お前たちあの日わたしたちのこと思い出したろう?

チルチル:ええ

おばあさん:それごらん。わたしたちのことを思い出してくれるだけでいいのだよ。そうすれば、いつでもわたしたちは目がさめて、お前たちに会うことができるのだよ。

 

〈思い出の国〉とは死者の国なのだろう。しかしチルチルとミチルは死者ではない。なぜ死者の国に行けたのか。これは二人が死に近接した状態、臨死状態だったからではないかと思う。

 

死に近づくだけが死者に会う方法ではない 。 思い出すことで死者と会える。これを伝えたかったのか?

 

幸福とは〈幸福の花園〉

 

わたしは「幸福」たちのところへ行けないのですよ。わたしと面と向かったら、たいていのものはがまんできないんですからね。でも、ここにあついヴェールを持ってますから、幸福な人たちをたずねるときにはいつもこれをかぶることにしているんです。

わたしの魂からさす光が、ちょっとでもあの人たちをこわがらせてはいけないのよ。「幸福」たちの中には、なにかを恐れたり、あまりしあわせでないものもいるのですからね。ほら、こうすれば、あの中の一番みっともない、一番ふとりかえったものでもわたしをこわがることはないのですよ。 (光)

(一番ふとりかえったものとは、「お金持ちの幸福」で、その家族に「地所持である幸福」・「虚栄に満ち足りた幸福」・「かわかないのに飲む幸福」・「ひもじくないのに食べる幸福」・「なにも知らない幸福」・「もののわからない幸福」・「なにもしない幸福」・「眠りすぎる幸福」・「ふとった大笑い」がいる)

 

〈幸福の花園〉で二人が最初に会った「幸福」はふとりかえった幸福であった。

 

あれは危険なのですよ。あなたの意志をくじいてしまうのよ。人間はしなければならない義務があるときには、なにかを犠牲にしなければならないのだということを知らなねばなりません。ていねいに、しかしきっぱりと断りなさい、そら、きましたよ。 (光)

 

光はふとりかえった幸福は危険なものだという。実際ふとりかえった幸福たちは二人を饗宴に参加させようとする。

 

ふとりかえった幸福たちは欲望の権化。欲望を満たした時、それは確かに幸福なんでしょう。しかしそれは堕落の象徴でもある。幸福を追い求めるということはそんな危険な側面も持ち合わせている。

 

やがて光に照らされて本当の姿が顕になったふとりかえった幸福 たちは「不幸」の元へ逃げていく。

 

もののわかる喜び:――わたしたち、それは幸福ですけど、わたしたち以上のものは見えないんですもの。

正義である喜び:――わたしたち、とても幸福なんですが、でも、自分たちの影以外ののものは見えないのですもの。

美しいものを見る喜び:――わたしたち、幸福なんですが、でも、わたしたちの夢以上のものは見えないんですもの。

 

「幸福」とは必ずしもよいものではなく、不幸に導くこともあれば、盲目にすることもある。

 

青い鳥

 

〈思い出の国〉で捕まえた青い鳥は黒くなってしまい、〈夜の御殿〉で捕まえた青い鳥は死んでしまい、 〈森〉で青い鳥は捕まえられず、〈墓地〉で青い鳥は現れず、結局青い鳥を捕まえることができなかった。

家に帰った二人が目覚めると、隣のおばあさんが家にやってくる。彼女の娘がチルチルの持っている鳥を欲しがっているらしい。

鳥かごの中を確認してみると、その鳥が青い鳥になっていた。

青い鳥を貰った娘はすっかり元気になり喜ぶが、チルチルたちと鳥に餌をあげようとすると、鳥は逃げて飛んでいってしまう。

 

これはこの貧しい暮らしを受け入れるしか無いということを示唆しているのではないか。

 

本当に青い鳥は「幸福」の象徴だったのか。もし青い鳥が「幸福」の象徴で、「幸福」は身近にあるものだったのならば、青い鳥は逃げ出さなかったはずである。

 

最後に

 

『青い鳥』は生と死、幸福についてなどいろいろなことを考えさせてくれた。

この感想中には書いていないが、〈未来の王国〉の話もいろいろと考えさせられるものがあった。生まれるものは才能でも、病気でもなんでもいい。なにかを持って生まれなくてならない。生きているということはなにか役割を持っていることなのだろう。

 

――どなたかあの鳥を見つけた方は、どうぞぼくたちに返してください。ぼくたち、幸福に暮らすために、いつかきっとあの鳥がいりようになるでしょうから (チルチル) 

 

「幸福」は留まることを知らず、一度手に入れるとすぐどこかに去ってしまう。

そんなことを最後に教えてくれる作品でした。

 

青い鳥 (新潮文庫 メ-3-1)青い鳥 (新潮文庫 メ-3-1)